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藤原家と愛宕神社
藤原愛宕神社の歴史
文治元年(1185年)
屋島壇の浦の源平の合戦にて平家は滅亡し、平家一族はことごとく処刑されました。
難を逃れた僅かの人々は姿や名前と変え、諸国の山門僻地に隠れ住むように。
平家と深い姻戚関係にあった藤原氏は名を「篠原」と改め、先祖崇拝の愛宕神社を唯一の心の拠り所として拝載し、一族郎党と共に能登の山中に落ち延び、隠れ住みます。
後に篠原氏は、屋敷の一角に密かに神殿を建立し、御先祖の例を慰め泰り、一族の安全、子孫繁栄を祈りました。
祭神名は表に出さず、何時しか不明に。
藤原氏の高き位の人と思われることだけ言い伝えられました。
昭和38年7月24日
篠原家一族の第二の故郷となった現在地小松市に、愛宕神社と共に遷宮合祀されます。
藤原氏が都を去ってから800余年。
星は流れ、人は変われども、愛宕大明神と共に、篠原家子々孫々に受け継がれ、厚き信仰と共に今日に至ります。
神社の由来について書かれた石像
愛宕神社とは
全国900社を数えるという愛宕神社。
火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房や会社の茶室などに貼られています。
そのため「愛宕の三つ参り」と言い、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと言われています。
火伏せ・防火以外にも、東京愛宕神社にある愛宕神社正面坂(男坂)の石段にまつわる故事から、「出世の階段」と言われ、出世・開運へのご利益を期待され近年人気を集めています。
神様を守る柿の木に囲まれた神社
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